つむじ通信7
つむじ通信7

「病は自分で治せる」――21世紀の医療改革
気を徹す「つむじの理論」よりの提言
自律神経免疫療法の元になった井穴・頭部刺絡療法を始めたのは、1996年11月。あれから12年近くが経とうとしている。
1996年に、横浜の医師・浅見鉄男先生の講習会に参加し、井穴・頭部刺絡療法を教えていただいた。翌日、浅見先生の治療を記憶に、おそるおそる妻の指先に12号の輸血用の注射針をブスッと刺したら絶叫され、中止せざるを得なかった。
翌日、あらためて同僚の脳外科の医師に同じ12号の輸血用の注射針を刺してみたが、やはり中止を余儀なくされた。
いま、12年近く前の事件を思い出して、ニヤニヤしながらこの文章を書いている。
その後、常に試行錯誤をくり返しながら、より効果のある手法を求め、いまの時点でも治療法は進化し続けている。
現時点では、95%以上の患者が、治療後には「非常に痛いけど、すっきりさわやかになった」「視界が明るくなった」「足が軽くなった」「体がポカポカとして、風呂上がりみたいだ」と表現するようになっている。頭痛や腰痛などは、その場で消失する人が多い。

1999年、重症のアトピー性皮膚炎患者が、評判を聞きつけて当時勤務していた病院に殺到した。治療法について相談する人はなく、苦心惨憺していると、病院からは「こんな治療をして!」と白い目で見られ、外科の医師からは「いつから教祖様になったんだ。奥様はたいへんだね」と冷笑され、まさに四面楚歌の状態が長年続いた。
私は教祖ではないし、お金もあまりない。ただ、昔から「ばかな男だ」とよく言われた。しかし、私は不器用で単純肉体派。思ったことはやり通すという、変な意地を貫いていたことは確かである。
自律神経免疫療法を開始したとき、治療の見学に来た医師に「頭のてっぺんから足の先まで見て、治療を工夫してほしい」と言ったが、この考え方はいまでも心の中に生きている。
余談ではあるが、2008年2月からは、いままでの治療法を世の中に広めるため、医師・歯科医師・鍼灸師などの医療者を対象とした「塾」を開催することになった。
今回は、この1年で経験した興味深い3つの症例について述べてみたい。
症例1 肺ガン(疑い)、認知症 89歳 女性
2006年ごろからセキ、タンが出始め、肺ガンの疑いで2人の娘に伴われ、2008年1月29日に来院。
彼女は80歳のときに、胃ガンで胃切除手術を受けていた。来院時は歩行もできず、難聴もあって補聴器を装着していた。問診の際も、ただボーッとして、眠っているのか起きているのかよくわからない。そしてセキを常にしていた。
私は、肺ガンの検査をするより、まずはセキを止めるのが先だと判断し、治療を行った。
頭のてっぺんから足の先まで、磁気針による治療を行った。治療時間は15分程度。治療後には、彼女のフニャフニャした姿勢が、ほぼ正常な人の姿勢に変わった。私が話しかけると、弱々しいが、補聴器なしで私に返事をしたのだ。このときは、私も本当に目を疑い、びっくりしてしまった。
次回の治療は2月7日を予約した。2月7日の来院時に、以下のような変化を見せたと、娘さんが話してくれた。
1月29日の治療後、山形県鶴岡市までの帰りに買い物を手伝ってくれ、帰宅後は台所に入って食事の準備を手伝ってくれた。夜も、寝室から離れたトイレに1人で行った。
2月2日から4日まで、電車で東京に行き、帰りは飛行機で帰宅。体を支えられながらではあるが、階段の昇り降りもしっかりとできた。
翌日の5日は疲れもなく、朝8時に起床。「このところ耳の聞こえがいい」と娘さんに話したそうだ。
治療2回目の2月7日。少し眠そうではあるが、次女と2人で来院。治療を終えると、何事もなかったような笑顔で帰っていった。
セキは少しずつ改善し、聴覚は一進一退をくり返しながらも改善の傾向が見られた。
治療5回目の2月29日に、ほぼ正常と判断し、今後は2週間に1回の治療とした。
3月27日の治療7回目。胸部レントゲン写真では「異常なし」と診断されたと話してくれた。
治療8回目の4月10日に治癒と判断し、今後は月に1回の治療になると言い渡した。このときの彼女の姿勢はまったく正常であった。耳の聞こえは「あまりよくない」と言ったが、私との会話はまったく正常な人と変わりがなかった。
彼女が魅力ある笑顔で帰っていったとき、私のいままで十数年の苦労も一気に吹き飛んだ気がした。
白血球像の推移を以下に述べておく。
| 年月 | 白血球数 | 顆粒球 | リンパ球 | リンパ球数 | 単球 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2008年1月 | 8100 | 56% | 39% | 3159 | 5% |
| 2008年2月 | 8700 | 37% | 58% | 5046 | 5% |
| 2008年4月 | 11110 | 56% | 39% | 4329 | 4% |
| 2008年5月 | 9300 | 50% | 45% | 4185 | 5% |
症例2 急性散在性脳脊髄炎 40歳 男性
2006年1月、高熱が2週間以上続き、言語障害と意識障害が起き、病院で急性散在性脊髄炎と診断された。治療を受けていたが、医師からは「治癒する可能性がある」という言葉は聞けなかったという。
首から下は常にしびれ感が強く、歩行がままならないので、車椅子を使用していた。排便は可能であるが、排尿障害があって尿意を感じることができず、排尿を我慢できないため「おしめ」を使用していた。
顔には発赤(うっ血)が認められ、足は冷え、下肢はとくにしびれ感が強く認められた(頭部がうっ血し足が冷える、「頭熱足寒」の状態)。
2007年1月29日、15分ほど磁気針で全身を治療した。治療前の血圧は最小60㎜Hg、最大89㎜Hgであったが、治療後には最小80㎜Hg、最大120㎜Hgとなった。足のしびれ感がやわらぎ、顔面のかたさもほぐれ、排尿感覚も少し出たと言って帰っていった。
1カ月後には、しびれ感が改善し、自力歩行が可能となった。尿もれは少なくなったが、排尿感はなかった。
しびれ感は順調に改善し車椅子生活は卒業したが、排尿感は変わりなく、尿もれがあるため「おしめ」ははずせない。
排尿感に効果を示したのは、10月1日から「仙人穴」(背骨の下端に位置する仙骨付近にある治療点)への治療を加えたのがきっかけだった。尿意が蘇り、わずかながらではあるが我慢もできるようになった。目をつぶってもらってまぶたに浮かぶ色を尋ねたところ、治療前は黒だったのが、治療後には白に変化していた。
「仙人穴」への治療を加えて2回目の10月29日は、「尿意を我慢できる時間が3〜5分となった」と言う。絶望視していた社会復帰に希望が見え、パソコン教室に通い始めたそうだ。
2008年に入ってからは、白血球中の顆粒球とリンパ球のバランスがよくなり、3月24日には「会社に復帰できました」と奥さんといっしょにあいさつに来た。治療後に目をつぶってまぶたに浮かぶ色を尋ねたところ、茜色であった(いままでの治療経験から、茜色は自律神経のバランスがとれた状態だと考えている)。
白血球像の推移を以下に述べておく。
| 年月 | 白血球数 | 顆粒球 | リンパ球 | リンパ球数 | 単球 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2007年1月 | 5500 | 68.0% | 24.3% | 1337 | 6.4% |
| 2007年2月 | 5800 | 51.4% | 39.4% | 2286 | 7.8% |
| 2007年3月 | 5000 | 48.3% | 42.9% | 2145 | 7.0% |
| 2007年6月 | 9000 | 59.2% | 33.9% | 3051 | 5.8% |
| 2007年10月 | 6000 | 54.8% | 37.7% | 2262 | 5.8% |
| 2008年2月 | 7100 | 58.9% | 33.6% | 2386 | 5.8% |
| 2008年5月 | 5800 | 61% | 34% | 1972 | 5% |
症例3 急性脳症(麻疹、風疹混合ワクチン接種後) 2歳 男性
2007年4月25日、ワクチン接種後に発熱、セキ、鼻汁が出る。5月の連休中に熱性痙攣後、いったんは治療でよくなるが、翌日再び痙攣を起こす。夕食後に昏睡状態となる。その後、新潟県内の病院を転々とすることになる。
6月に入って、新潟市の専門病院でリハビリテーションを受けることになった。検査では脳に浮腫(むくみ)があるが、MR検査では「異常はない」と診断される。
目は開くけど、ボーッとしているだけで、座ることも笑うこともできない状態だった。
9月3日に私の医院に来た。手足が極端に冷えており、首がすわっていない。右手首が拘縮しており、右手は握ったままの状態で開けず、手足を動かすことができなかった。
そこで、磁気針による治療を全身に行った。「とにかく全身を温めるように。とくに手足の冷えを取るように」と指導した。
治療2回目には、少し元気になって、笑うようになった。6回目の治療のころには、動物の絵に興味を示すようになり、喜怒哀楽を表すようになった。
治療2カ月目に入ると、首が安定してすわるようになり、祖父母に興味を示すようになった。私のことも認識するようになり、医院の前を通った車の音に大泣きしたりした。2カ月目で治療は10回行った。
治療3カ月目に入ると、顔に表情が出て、泣くことが少なくなり、我慢しようとするようになった。
治療4カ月目に入ると、私を認識して笑顔を見せた。右手はまだ拘縮していて動きはないが、左手はよく動かすようになった。とくに、食事中に活発に動かしているという。ここまでで、12回の治療を行った。
2008年1月になると、足の冷えは少なくなり、寝返りをするようになった。左手は、物を握れるようになった。ここまでに15回の治療を行った。
2月に入り、自己主張が強くなった。自分の好きな物には手を出し、腹這いで動いていって欲しい物には手を出す。さらに、拘縮して動かなかった右手の指も開き始めた。また、首の動きもなめらかになってきた。ここまでに17回の治療を行っている。
治療7カ月目の3月になると、常に何か話しかけるようになり、祖母を見ると笑顔で応じる。不満があると手をたたいたりするなど、さらに自己主張が強くなった。手足の指を閉じたり開いたりするようにもなってきた。ここまでで19回の治療を行っている。
5月に入ると、治療後には手をたたき、いたずらっぽい顔で私を見て、ニヤーッと笑ったりするようになった。
専門医からは「絶対改善の可能性はない」と言われていたが、9カ月間の治療でここまで変化したのである。
白血球像の推移を以下に述べておく。
| 年月 | 白血球数 | 顆粒球 | リンパ球 | リンパ球数 | 単球 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2007年9月 | 5000 | 45% | 51% | 2550 | 4% |
| 2008年1月 | 9000 | 51% | 46% | 4140 | 3% |
| 2008年3月 | 8000 | 48% | 48% | 3840 | 4% |
これら3つの症例を含め、最近の治療で感じたことは、人間を含めた生物の「自ら治そうとする力」の偉大さであり、現代医療のおごりである。これらの症例の治療には、薬の使用はいっさいない。
私が教わったのは、患者そのものからであり、けっして本などから学んで教わったことではない。あるのは道元禅師(曹洞宗の開祖。歯磨洗顔、食事の際の作法や掃除の習慣を広めたといわれる)、貝原益軒(身体の養生と心の養生を説いた『養生訓』の著者)、後藤艮山(江戸中期の漢方の名医)、水野南北(観相家、食に関する造詣が深い)といった先達、そして斉藤道雄(ジャーナリスト)、浅見鉄男(医師)、石渡弘三(交流磁気治療器の開発者)、宮本直吉(携帯用電子鍼の開発者)といった諸氏による教えがあった。
斉藤道雄氏は、『希望のがん治療』(集英社)という著書で、「いずみの会」というガンの患者会での年間生存率は92%を超えていると述べている。
進行ガンや末期ガンの患者も多いにもかかわらず、800人ほどの会員のうち、1年間に亡くなるのは50〜60人だという。「いずみの会」の会員は、自らの力でこの数字を達成している。
2004年に斉藤道雄氏の著書を拝読して以来、私はこの衝撃的な報告に真面目に向き合ってきた。現時点での私の治療では、ガン患者がよくなる率が70〜80%に達しようとしているが、まだまだ「いずみの会」のような数字は得られていない。
斉藤道雄氏が述べている「いずみの会」の数字は、私の永遠の目標である。
最近少しずつわかってきたことは、病気は患者が自分で治すのであり、私たち医療者ができることは残りの5%程度であって、ほんの少しお手伝いするだけである。このことがわかり始めてから、私は患者から大きな力を得ることができた。「おれが治してやる」という力みがなくなり、良き智恵をいただいたと思っている。
人間の持っている可能性を信じること。そして、患者自身の治す力という「神の領域」に、私たち医療者は土足で入るべきではないと思っている。
2008年6月9日
福田 稔
a:1490 t:1 y:3